退職2024年01月20日 12:43

10/31/88、A社を退職しました。
本社がA社をシャットダウン、ジョイントベンチャーを立ち上げる方針を示したことで、諸々ありました。
技術の要の専務が辞め、コントローラも辞め、何人かの社員は整理され、そんな状況でした。
ジョイントベンチャーに移ることも出来たかもしれないので、今思えば幼稚な判断とも思います。

A社で学んだ技術は、サラリーマン生活の最後まで私を助けてくれました。
デジタル、アナログ、マイコン、シーケンサー、アセンブラ、半導体製造装置など。

船舶通信士には、当時の郵政省管轄の無線通信士免許と当時の運輸省管轄の海技免状が必要でした。
無線通信士として6ヶ月の乗船履歴を得ると、海技試験が受けられます。
乗船履歴を得るための6ヶ月は員外通信士です。
当然ながら、員外通信士でも給与が支給されます。然しながら、当時海運界は底なしの不況、6ヶ月程度無給で乗船履歴を得るチャンスをやる、と言う条件をのんで私は乗船しました。
学校を通してのオファーでしたが、学校としても本人が納得なら止めないとのこと。漁船でも乗船履歴は得られる、海技免状を取ってから商船に移る手段もある、というアドバイスもありました。
世の中を知らない私は、無給乗船に飛びつきました。
手当て(なに手当て?)として1ヶ月20,000円支給されました。
インド航路に就航して、6ヶ月では内地に戻れず、6ヶ月程度という契約だったから7ヶ月間20,000円、8ヶ月目から18歳の基本給が支給されました。(ちょうど6ヶ月で内地に戻れるはずもないので、少し過ぎてもやむを得ない、という会社のロジック)
そんなことがまかり通っていた時代でした。会社は経理的にどう処理したのか?
本人が納得したのだから今更、と言われればその通りです。単に事実を羅列しているだけです。

船はユニオンショップ制で、私は当初全日本海員組合に加入していましたが、その後船舶通信士労働組合に移りました。
なに丸だったか、ある通信長から、今からでも組合を通して交渉すれば、未払い賃金の支払いと、20歳の基本給適用が出来るかもしれないけど相談するか、と言って貰いました。
しかし自分で納得して乗船したので今さら蒸し返せないと返答しました。

A社を辞めるとき、あと1ヶ月少し、12月に退職すればボーナスが支給されるから退職日を変更したらどうかと、A社が契約していた経営コンサルタント会社の担当者にアドバイスされましたが、それを貰うためだけにいるのもどうかと、断りました。

両方とも、今思えば、バカですね。
過ぎたこと、自分で決めたことで悔やんではいませんが、誇りに思っているわけでもありません。
歳を取って厚かましくなったと言うことかも知れません。

B社は3ヶ月で退職2024年01月20日 18:04

A社は3年でしたが、B社は3ヶ月で退職しました。
何をやっているのでしょう?妻も子もいるというのに!
若かったんですね。

A社で電子回路の設計に興味を持ってしまいました。
回路図を描いて、試作、カットアンドトライして、思うとおりに動作したときのうれしさ、それが製品として販売される喜びを知ってしまったのです。ものを作る楽しさ。一種の創造です。
A社では、複雑な回路ではありませんが電子回路も、シーケンサー配線もそのソフトも作って、製品として納入しました。それが仕事の大きな喜びでした。

B社の回路設計という職種に応募、採用されましたが、実は生産設計でした。
回路設計をやる部署もありましたが、そこには配属されず、他社で設計された回路を形にする、試作して動作確認する、そんな部署でした。

そこで上司に相談すれば良かったのかもしれませんが、ここでは望む職種に就けないとひとり思い込んで、転職先を探しました。
若かったですね、実年齢はともかく。
それは、幼いということでもありますすね。
しかし、純粋とも考えています。