E社は14ヶ月2024年01月27日 07:35

3社目の半導体製造装置メーカー、規模としては世界最大で、装置の種類は一杯ありました。

仕事はサイトマネージャー。
D社と似たようなものですが、管理職となり、仕事の幅は広がりました。
この時点では、回路設計やエンジニアリングは諦め、働きやすい会社で働きたい、そんな希望でした。
良い会社でした。

マネージャーの使命は、会社の利益を確保する、顧客を満足させる、部下を満足させる、という三つの目的を実現することです。
当時半導体業界では、Customer Satisfaction 顧客満足が流行っていました。D社は加えて、Employee Satisfaction 従業員満足を会社の目標に、マネージャーの評価項目に挙げていたのです。

Windows95が出て、パソコンがめちゃくちゃ売れて、半導体業界はめちゃめちゃ利益が上がりました。
ハワイで1週間ミーティングの出張というのもあり、ちょっとした会議でもホテルを使ったり、お金が余っていた感じです。

しかし、私はマネージャーの器ではありませんでした。
残業や休日出勤だけでは能力不足を埋めることは出来ませんでした。
体調を崩してギブアップとなりました。
D社と違い、オペレーションはとても良かったので、ついて行けなかったのが残念でした。

94年12月から96年1月の在職でした。
勤務地は仙台で、相模原から引っ越して、転校までさせて子どもには済まなかったと思っています。
率直には、辛いから逃げた、に尽きます。

D社再び2024年01月27日 12:33

余りないことだと思いますが、一度辞めた会社に戻りました。

装置改造をやらないかという話があって、スケベ心に火が着いて、渡りに船と乗ってしまいました。

ところが戻ってみたら、装置改造を暫くやって慣れたら、フィールドサービスをやってくれとコントローラに言われました。7.5ヶ月でまたもや退職です。

また引っ越し、転校、家族には迷惑を掛けました。

例のコントローラは更に権勢を強めて、従業員、特にフィールドサービスは泣かされていました。
社長によれば、コントローラは本社のCFOにぶら下がっているから、日本の社長(本社ではVPのひとりに過ぎない)では扱いにくいところがある、と。
私が2度目の退職したあとに聞いたのですが、コントローラはある日突然、今すぐ会社から出て行けと Fire されたと聞きました。何をやったのかは知りません。