3.11東日本大震災2024年06月09日 15:53

3/11/11
14時45分地震、オフィスは2階建ての2階、揺れは大したことはないが、揺れている時間が長かった。

東京本社の社長から被害状況を連絡せよという指示あり。その後本社人事から今後の指示を連絡すると言うことだったが、どうなったのか?
横浜・戸塚オフィスの責任者は辞めたばかりで、週の半分東京本社から来ているNo2は今日は来ない日。
関連会社のW氏が『俺が責任を取るから帰って良いよ』と。たいした判断力と責任力、感銘を受けた。

私も残っていても時間の無駄、暗くなり、寒くなり、帰宅が困難になるだけは明白。それに停電、電車は止まっただろうと思われた。歩いて帰れるなら、帰る必要があるなら早い方が良い。
自己判断で、部下のSにも帰れるなら帰れと言って、私が最初に帰った

幸運にも戸塚駅から保土ヶ谷駅行きのバスが運行されており乗車。保土ヶ谷駅の手前で渋滞、運転手の勧めでバスを下りて歩いた。
スマホのナビを頼りに歩いて、保土ヶ谷駅にたどり着き、以前通勤していた天王町駅にたどり着き、横浜駅にたどり着き、東神奈川駅近くで妻をピックアップ、一緒に歩いて2030時帰宅。

途中踏切があり、数分待っても空かない。電車は来ない。地震により締め切りの動作をしていると考えて、横断した。

長女次女も義母も無事。

船なら本船を放棄してライフボートに乗るかどうかはキャプテンの命令による。一蓮托生。個人の判断で勝手に避難は出来ない。機関士や通信士はライフボートを降ろせない、航海士や機関士は遭難通信を行えない。
消防も救急も警察もない船では自分達だけで全てに対応しなければならない。
陸上の場合は、小さい子どもや老親のために遠距離でも歩いてでも帰宅せざるを得ないひともいるだろうし、自己判断は可能であるし、指示待ちは危険な事もある。