ディズニーランド2023年12月28日 14:10

今航最後の揚地、ロサンゼルス。
入港時、周囲にきれいな色とりどりの帆のヨット、ボート、ジェットスキーが一杯。
手を振っているので、振り返しました。

サードオッサーの発案で、ディズニーランドへ行きました。Long Beachからバスで1時間弱だったと思います。
7ドルくらいのチケットを買って、全部は使い切れず、真っ暗なトンネルを走るジェットコースター、これは次はどっちに曲がるか分からずスリルたっぷり、潜水艦、お化け屋敷、とはいえ子ども向けで、恐くはありません、最後に日本語を含めた各国語で『さようなら』のサイン。
夕食後に上陸したので、さて帰るか、となったのは深夜、周囲がよく見えず駐車場で迷子になって、なんとかバス乗り場にたどり着いて、船に帰りました。
ディズニーランドそのものより駐車場の方が広いそうです。





インド!2023年12月28日 14:38

次航はアラスカで肥料を積んで、インドのマドラス揚げとなりました。
経験者は知っている、インド、荷役が遅い、いつ内地に帰れるか分からない、と。
もっとひどいのはサウジアラビア、11ヶ月居たことがあったとか。

ともかく、アラスカ州KenaiでUrea,尿素を積みました。
工場から船までベルトコンベアで流れてきます。3日で20,000トンくらい積みました。
荷役が終わって出港、ポートサイド(左舷)のタラップが係船柱にぶつかり、タラップは船体から外れて海に落ちてしました。
無線室はポートサイドにあり、衝突音を聞いて、丸窓からタラップが海に消えるところをしっかり見ました。
ここはパイロットが居ない、港というか船を係留する柱が海に立っているだけの岸壁の無い港です。

試しに検索したら、出てきました。多分、、、ですが、肥料工場はAgrim Kenai Nitrogen Operations、その周辺が写真の通りです。赤いマークが肥料工場、海に突き出ているのが円柱形で肥料を運ぶベルトコンベアと人が移動するためのゴルフカートのような車が走れる2段構造です。それに便乗して上陸しました。海に突き出た先には船も写っています。
ネットはすごい。こんな情報、写真が横浜で見つけられるのですから。しかも、46年前の記憶から。



バンカー2023年12月28日 18:44

バンカーとは燃料補給のことです。
アラスカからインドまでは燃料が足りず、シンガポールでバンカーとなりました。
10,000馬力ほどのエンジンで24時間で30トンの燃料を消費、1ヶ月で900トン。
Kenai出港:1978年7月21日
Singapore入港:8月14日
途中、青森、岩手沖付近で台風に遭遇、津軽海峡付近まで避難もあり、何日か余計にかかりました。

シンガポールでは本船がアンカーを入れる前に、つまりまだ船は動いているのに、沖売りが乗り込んで来てパッセージに土産物が広がっています。航走している船に鈎縄を投げて登ってくるのです。すごい!

キャプテンとサードオッサーが海難報告のために上陸するので、サンパンに便乗して私も上陸。
海難報告とは、荒天に遭遇したり、今航はタラップを無くしたので、こんなことがありました、と在外公館(最終的には当時の運輸省に行くのでしょう?に報告するものらしいです。保険金請求にも必要なものとか、サードオッサーに聞いた気がします。

ヌーメアのドジを繰り返さないように、サンパン乗り場をしっかり覚えて、その周辺だけを1人で歩きました。
果物がうまそうでしたが、腹を壊すとまずいので我慢しました。船に医者はいません。病気の危険を回避するのは船乗りの鉄則。
マネーチェンジと言いながら、指の股に何種類もの紙幣を挟んで呼びかけるおっさん。多分シンガポールドル、米ドル、日本円も?個人の外国為替屋さん。