マドラス2023年12月29日 17:28

1978年8月19日Madras入港。
1996年に名前がChennaiに変わりました。

めちゃめちゃ暑い。歩いているだけで頭が痛くなるほど暑い。
率直に言えば、悪臭と貧困の街。
夜は街灯が少なく暗いので、気をつけないと道路に寝ている人を踏んでしまいます。
しかし、夜ひとりで街を歩いても恐くはありません。治安は良く、インド人は温厚な性格と思います。

合計4ヶ月いました。
2ヶ月間沖待ち。(岸壁が別の船の荷役で塞がっているので、沖にアンカーを入れて順番待ち)
着岸して荷役を2週間だけ。優先の貨物船(ソ連からの軍事物資とか)が入港したため、本船はまた沖に出されました。
2週間の沖待ち、再度着岸、荷役再開。
1ヶ月半の荷役。
合計2ヶ月沖待ち、2ヶ月荷役。
アラスカでは3日で積んだ20,000トンほどの貨物、揚げるのに2ヶ月。
港湾設備が無いため、本船のクレーンを使って一旦貨車に揚げます。貨車には肥料の出口を作ってあって、そこから袋に詰めます。袋の口を手で縫います。クレーン以外は手作業で延々と繰り返します。時間がかかります。船倉をみても、一昨日から昨日から今日まで全然貨物が減っていません。いつ出港できるのか?

4ヶ月も居ると、いろいろあります。
食糧補給はままならず、ほとんどの乗組員が下痢、数kg痩せました。
入港スタンバイ中にホーサー(係船索)が切れて、コーターマスター(甲板手)に当たってケガ、救急車で入院というアクシデント。数日後、骨折も無く退院となりました。
コレラの予防接種の有効期間切れで、船にドクターを呼んで注射。消毒用アルコールが無いので、船で提供しました。アルコールさえ無いんですから、1人1本の注射器ではなかった気がします。病気にならなくて良かった。
男もしゃがんで用を足す。立って用を足す私が変態?
大の個室には缶詰の空き缶、水を入れて、手を洗う用途とのこと。幸い使わずに済みました。
インド人はイエスの時、首を傾げます。沖待ち中に週に一回代理店の人が船に来ますが、来週は着岸できるか聞くと、いつも首を傾げてイエス。でも2ヶ月かかりました。インド人はおおらかな性格のようです。日本人を揶揄するジョーク、日本人は朝は時間通りに会社来るが、帰るときは時間を守らない。どっちもどっち。

マハベリプラム2023年12月29日 18:27

私には当時、現地で、マハベリプラムと聞こえました。
検索してみると、マハーバリプラムとありました。Mahabalipuram
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A0
船のWatchman(舷門当直)をやっていた人に教えて貰いました。
マドラスからバスに乗って2時間以上かかったと思います。だんだん心細くなりました。こんな遠くまで来て、無事に船に戻れるか?後どれくらいかかるのか?帰りのバスは何時まであるのか?
その前に、小銭を持っていなくて、数ルピーの料金に10ルピー紙幣を払いました。運転手は両替しません。乗客に、誰か両替できるかと聞いてくれましたが、誰も。しかたりません。
Google Mapでみたら直線距離で55km、なんとかたどり着きました。
そして、行った甲斐はありました。その後世界遺産に登録された遺跡。砂浜に石の建造物という不思議な光景。カメラ持っていったから覚えていません。今度写真があるか探してみます。
帰りもバスでなんとか戻れました。今でも、よくも1人で行ってきたものだと思います。

1978年12月21日マドラス出港。