アフリカ西岸2024年01月07日 10:46

Pointe-Noire   CONGO             1320  8/ 4/80     0020  9/ 4/80  

Libreville         GABON              0900 10/ 4/80    0620 11/ 4/80

Douala            CAMEROON       0920 12/ 4/80    1400 13/ 4/80 

Cotonou          BENIN                0240 15/ 4/80    1730 16/ 4/80  

Lome              TOGO                2240 16/ 4/80    1300 17/ 4/80 

Abidjan           IVORY COAST   1730 18/ 4/80     0610 21/ 4/80   


カメルーンの公用語はフランス語と英語。
その他の国の公用語はフランス語。

ポイントノアールだったか?入港中漁網を切断したので損害賠償をする旨の紙にキャプテンがサインしました。サインには、強制されて、という但し書きをする方法があるそうで。
入出港ではパイロットが操船号令を出しますが、何かあっても全てはキャプテンの責任、パイロットがダメそうなら、排除してキャプテンが操船号令を出す義務があるとのこと。
パイロットもキャプテンも、艏のチョッサー(一等航海士)も漁網に気付かなかったのか、どうなのでしょう。

上陸した記憶があるのは象牙海岸のアビジャンだけです。
バーにアグネス・ラムによく似た小柄でかわいい人がいました。出身はベトナム。
母がアビジャンに住んでいて、自分は1年の半分はアビジャン、あとの半分はパリに住んでいると。
ベトナムも象牙海岸もフランスの殖民地でしたから、フランス繋がりということでしょう。

以上で中古車650台のスリランカとアフリカ6カ国揚げの航海が終わりました。

砂糖2024年01月07日 17:42

中古車を揚げきった次の航海の貨物は砂糖でした。
撒積(ばらづみ)といって、袋や缶に入れるなどの包装、梱包一切無しのそのままの砂糖を前航中古車を積んでいたホールド(船倉)に積み込みました。製糖された白い砂糖では無く、薄い茶色、きっと内地で加工、製糖するのでしょう。

Durban         SOUTH AFRICA   0720  3/ 5/80  1300  4/ 5/80 

Shimizu                            1640 31/ 5/80     (休暇下船)


再びの南アフリカ、上陸しました。
飲みに行って、飲み過ぎて、帰りが遅くなり、キャプテンが心配していたから謝ってこいと上司の局長(通信長)に言われました。ニューカレで懲りたはずなのに。

出港の2-3時間前には機関部で『トライエンジン』を行います。
トライエンジンというのは、エンジンの試運転、正転と逆転をそれぞれ1-2回転だけやって、正常に起動することを確認することです。
これくらいの時間には船に戻っていないと、やばいです。

ちなみに船のディーゼルエンジンは圧縮空気で起動します。車のようにセルモータではありません。
船にはクラッチが無いため、前進と後進はエンジンの正転と逆転で切り替えます。

ダーバンに来てからだったか、それともまだアフリカ西岸にいたときだったか、局長の指示で長崎無線/JOSに直接電報を送信しました。3日くらいかかったような?
通常、このあたりでは南アフリカの無線局、Cape Town Radio/ZSCあるいはDurban Radio/ZSDを経由するのですが、通信費を節約するためです。
ダーバンから長崎までGoogle Mapで12,500km、しかも時差が7時間。
距離も距離ですが、時差があると電離層の状態が違うため、空中での電波の反射の状態が違うため、東西通信は難しいのです。

これに比して、カリブ海は雑音が多くて、テキサスやフロリダと通信するのも大変だったことを思い出しました。

また前後しますが、ケープタウンと通信したとき、ローマ字で DOMO ARIGATO SAYONARA と挨拶されてビックリ。日本のマグロ船が基地にしているからと聞きました。