読書2024年04月15日 07:52

2022年12月30日
20代で読んで、先日読み返した石川達三のデビュー作『蒼氓』。
蒼氓?読めませんね。そうぼう、意味は『人民』とのこと。発表の昭和10年、1935年当時は普通に使われていた言葉でしょうか。
これは第1回芥川賞受賞作で、太宰治と競ったそうです。

太宰は芥川賞が欲しいと選考委員の誰かに泣きついたとか。
彼には桜桃忌なんてのがあって、今でも墓参りに行く人がいるそうです。
私も彼の生家(斜陽館)を見学したことがあります。
太宰作品で読んだのは、中学の教科書にあった『走れメロス』だけです。
『人間失格』はタイトルを知っているだけ、『生まれてきてすいません』は作品名ではないか?
『斜陽』はご存じの通り衰退の表現として使われ、私の職業だった海運も半導体も日本では斜陽を経て、終わっちゃいました。

石川作品のタイトルは印象深く、悪の愉(たの)しさ、四十八歳の抵抗、青春の蹉跌(さてつ)、結婚の生態、充たされた生活、愛の嵐、望み無きに非(あら)ず、稚(おさな)くて愛を知らず、その愛は損か得か、頭の中の歪み、私ひとりの私、薔薇と荊(いばら)の細道、自分の穴のなかで、暗い歎(なげ)きの谷、泥にまみれて、幸福の限界、、、など。

50代から読み始めた丸山健二、『夏の流れ』で1966年、56回芥川賞、当時23歳、最年少受賞。
仙台電波高専で通信士を目指すも挫折、商社のテレックスオペレータをやりながら就業時間中に彼女(のちの奥方)に見張りをさせて小説を書いていたとのこと。
この人の本は、初期の作品はともかく、あとの作品は読んでもほとんどわかりません。わからないけど、買ってしまう。多分それほど売れないから、文庫本にならない。だから高い。他の作家の本は文庫本になってから買いますが、この人のは仕方なく単行本を買います。

丸山のトークショーで、三島由紀夫は、師匠である川端康成がノーベル賞を獲ったので、もしや自分かもという悔しい気持ちを押し殺して『先生、おめでとうございます』を言わなければならなかったとか、本が売れなくなって荒れて楯の会というコスプレに走ったとか、腹を切った後の検死でやはり○○○、遺書を読んだ妻は激怒して△△△、新潮社の香典はXXX円で文春社の香典は□□□円、という興味深い話を聞いたことがあります。
三島と石川と川端は丸山が芥川賞を獲ったときの選考委員でした。

戻りますが、蒼氓というのは、当時の日本では人口過剰で食わせられないため、国策として農民をブラジルに移民させた話です。
今は逆に出生率が少なくて人口減少が問題になっていますが、どちらも政策でどうにかできるはずです。
国会には、頭の中の歪みによって議員失格どころか人間失格、生まれてきて欲しくなかった輩がゴロゴロいて、為に市民生活は、暗い嘆きの谷で泥にまみれて幸福の限界がとても低いところにあるようです。
しかし私は妻のおかげで、再婚の生態は充たされた生活で愛の嵐、といったころです。
来年こそは、悪の愉しさを味わってみたいと思いますが、この歳ではもはや四十八歳の抵抗にはほど遠く、ましてや青春の蹉跌で済ますわけには行かないでしょう、なんちゃって。


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