F社-4 ― 2024年01月30日 14:20
SAPの導入が完了し、事務に引き継ぎ、テクニカルサポートに復帰しました。
y2k、2000年問題というものがありました。
パソコンなどのカレンダーを西暦2000年に対応させることです。
大騒ぎした割には、パッチを当てるだけで終わった印象です。
42歳でタバコを止めました。
50歳になったらパイプを吸おうと思っていたのですが。
3/12/2000-3/29/2000
イオン注入装置の仕様確認のためにGloucesterに出張しました。
私としては2台目のその装置をGloucesterからのエンジニアと立ち上げました。
このときGPSを購入しました。当時の携帯程度の大きさで、パラグライダーで使いました。
8/15/2000
28年ぶりに小学校・中学校の同級会、とても懐かしかった。
上司Bはラインから外されました。無理だったようです。
たまに私が定時で帰ると、やる事が無いなら俺の仕事を回すぞ、と周りに言ったとか。
代休取得は2週間以内の社内規定があると。しかし装置の立ち上げスケジュールは土日全部出勤となっていて、2週間以内の取得は不可能。人事は理解してくれました。
当社最後の上司Cに退職願を提出、Bから『若い人を育てることをしないとどこへ行ってもはじき出されるよ』と。心の中で熨斗を付けてそっくりお返ししました。
高校生の時小型2輪の免許を取得しましたが、もう少し大きいものに乗りたくなり、普通2輪の免許を取得しました。ヤマハのセロー250ccを買おうと思いました。足が地面に届くので。
弟からスペイン製の良いのがあると茶々が入り、結局何も買わず、免許も無駄になりました。
12/31/2000
F社を退職、4年4ヶ月2週間の在職期間でした。
F社-3 ― 2024年01月30日 10:18
1999年1月、パラグライダーの2機目を受け取りました。
パラグライダーは一般に飛行性能と安全性はトレードオフですが、設計が進化するので、新しい機体は安全性を犠牲にせずに飛行性能が高くなります。
娘は歩いて10分ほどの所に居たので、週末は時々遊びに来ていました。
中学生になりました。
上司Aとその上司Bからいくつもの意味の分からない言いがかりのメールあり。
業界の成長に人の成長が追いつかないサンプルです。
5/8/99-5/14/99 : SAPトレーニングを受けるためBoston出張。
5/15/99 : BostonからPalo Altoへ移動。
5/17/99-5/21/99 : SAPトレーニング。
最終日の午後は、社員の操縦する軽飛行機でHalf Moon Bay遊覧飛行とディナー。
5/22/99 : San Jose発。
5/23/99 : 内地帰着。
航空会社がオーバーブッキングして、フライトを明日に変更してくれたらビジネスクラスにしてやるというオファーがありましたが、それでは帰国後の出社が遅れるのでことわりました。相変わらず意気地なし。もうビジネスは一生乗れない。
8月にいぼ痔の手術を受けました。
下半身麻酔で、電気メス?のジジジという音、ハサミで切る?ジョキジョキという音が恐かった。
手術後も数日痛かった。
7月に恐怖の大王が降りてきて地球が滅亡していれば、痔の手術を受けずに済んだはず。
この手術のあと、1日の排便が2-3回に増えました。どうしてか?
F社-2 ― 2024年01月29日 13:06
98年2月から準備を始め、I/IをGloucesterからのエンジニア二人と客先工場で立上げました。
これはちょっと苦しみました。
非協力的な顧客担当者、Gloucesterエンジニアのひとりが日本派遣中にレイオフ、もうひとりにも1週間58時間就業ルールの指示あり、日本の上司Aは英語が出来ない、 Aは彼の上司Bとはツーカーの前の会社からの関係、残業してもオンスケジュールでやれの指示。
それならと、顧客とのmtg席上でAに顧客とGloucesterのエンジニアが同意するスケジュールをこの場で策定してくれ提案。Aは持ち帰って検討すると。何のためのマネージャー?何の為に来たの?
4/7/98、とうとう離婚。
4月からSAPというビジネスプロセス管理ソフトに関わり始めました。
サービスマネージメントモジュールの担当です。
パラグライダーの事故に対応するよう損害賠償保険に入っていたのですが、職種が半導体製造装置のエンジニアから事務職になるということで、少し保険料が安くなりました。パラグライダーで遊ぶより、エンジニアの方が保険料が少し高額で、それは保険会社ではなく第3者機関のデータによるものとのことでした。
SAPの導入が完了してからエンジニアに戻ったとき、保険会社に連絡してまた保険料も戻しました。
5/23/98、パラグライダーで女性フライヤーと空中衝突、初めて(結果的に最後でもあり)緊急パラシュート使用、二人とも無事でした。
10/3/98、パラグライダーで着陸に失敗、駐車場の車2台を壊してしまいました。
F社-1 ― 2024年01月29日 10:40
1996年8月、F社に入社しました。
当時は半導体の景気が良くて、転職にさしたる苦労はありませんでした。
F社には装置が2種類あり、私はスパッター、またはPVDと呼ばれる装置を担当することになりました。
PVD : Physical Vapor Deposition 物理的気相成長
配線材料であるアルミなどの塊(ターゲットと呼びます)にアルゴンガス分子を衝突させて、衝突エネルギーでターゲットから飛び散るアルミ分子などを半導体に付着させるものです。
各種半導体製造装置は、よくもこんなものを考えて、実現したものだ、といつも驚かされます。
フィールドエンジニアとして、本社からのエンジニア二人と共に顧客工場でPVDの新しいプロセスを立ち上げました。顧客に装置の性能を評価して貰うためです。
初日、ホテルでJohnとEdを拾って顧客工場へ行ってくれ、と言われて、Johnがフィリピン系でEdは韓国系で、ロビーで見つけるまでちょっと戸惑いました。
PVDトレーニングでカリフォルニア州Palo Altoに出張:2/21/97-3/24/97
オペレーション1週間、メインテナンス1週間、エレクトロニクス2週間の合計4週間。
残念な事実として、この頃から妻とうまくいかなくなったことを記録しておきます。
5/7/97、PVD装置のビジネスユニットがD社に売却されました。
このままでは、私はまたD社に逆戻り?
ちょっと揉めて、外部にも相談して、お断りして、I/Iビジネスユニットに異動となりました。
I/I : Ion Implanter イオン注入装置、Pタイプ、Nタイプの半導体を作る為にあえて不純物(イオン)を注入する装置です。
97年8月、パラグライダー一日体験。
4-5日の練習で230mの山から飛べるとのことで、続けてみることにしました。
9月、パラグライダーで初めての山飛び。これはその後25年間の趣味になりました。
9月、パラグライダーのために河口湖まで行くも雨で戻る途中、対向車がスリップしてきてぶつけられました。
10/4/97-11/8/97、マサチューセッツ州GloucesterでI/Iのトレーニング。
装置が売れていて、トレーニングも忙しく、2nd shiftで15:30-22:30のクラスでした。
日本で入手出来なかったたまごっちをみつけて、娘のお土産にしました。
11/19/97-11/22/07、社員旅行で香港へ行きました。
大人になった? ― 2024年01月28日 08:34
図々しくなった、というのが正確でしょう。
若い頃は、無給で7ヶ月間船に乗ったり(20,000円/月の手当てあり)、そのあと20歳の所を18歳の基本給からスタート(退職するまで差額は継続)したり、あと1ヶ月少しでボーナスが支給されるから退職を遅らせるように勧められても断って辞めたりしました。
D社に戻るとき、支度金1,000,000円が支給されました。
入社したあとになって、3年以内の退職の場合は返還だと、あのコントローラが出しゃばってきました。
労基署に相談したところ;
支度金は給料ではないから労基署からは何も言えない、
採用確認書で3年以内返却と記載が無くても、その後の受け取り時でもその記載があってサインをしたなら返すことになるだろう、
民事で争っても負けるかもしれない、
金額が大きくて一回で返せないときは、分割可能、
労働の強制(分割させないなど)になるときは労基署が乗り出せる、
とのこと。
返却しました。
振込手数料だけは差し引かせて貰いました。大人になった私の精一杯の抵抗です。
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