2012年7月2024年09月04日 10:41

7/22/12
エアライフルで鳥撃ち。
数ヶ月前から時に思うけど、今が一番幸せか、健康であり、仕事あり、そこそこの生活をしており、趣味を楽しんでおり、妻と仲良く、悩みも無く、だな。

7/23/12
妻と六本木ヒルズの大英博物館、古代エジプト展、主に死者の書「The book of dead」の展示。


銃の所持2024年08月13日 15:18

銃の所持について

1/17/12
FX AIRGUNS社のCYCLONE 5.5mmを発注、スコープ付きで\265,000-。

1/18/12
銃所持のための診断書、電話確認で3カ所ほどやってないと断られた。
銃所持のための診断書は嫌がられる傾向あり。

1/21/12
横須賀ライフルクラブに教えて貰った診療所で診断書を入手。

2/1/12 有休
担当警察署に空気銃所持申請、その後二人自宅に来てガンロッカー設置状態確認、固定と、家族の了承を確認。

3/5/12
担当警察署より電話あり、所持許可が出た・

3/18/12
初撃ち、っていうのかどうか知らないけど、CYCLONEデビュー、横須賀、くりはま射撃場、500発の半分くらい撃った。

所持許可証が出たら銃とガンロッカーを発注、
銃を自宅ガンロッカーに保管して、
警察署にその銃の所持許可を申請、
警察官が自宅を訪問、ガンロッカーが押し入れなど目立たないところに設置されているか、壁に固定されているか、家族に銃所持に反対する者はいないかなどをチェック、
その銃の所持許可が出たら所持許可証に記載されます。
もし所持許可が出なかったら発注した銃はキャンセルです。許可が出てから銃を買うのではありません。

計算してみると2024年06月29日 18:36

7/10/11
ひとりでビッグサイトのブックフェアに行って、フェアは見ませんでしたが、曾野綾子の講演会を聞きました。
50年の作家活動で60,000,000文字を書いたことになるとのこと。書く事は煉瓦を積み重ねるようなもの、それだけ書けばいくらか文章もうまくなる、と。

計算してみました。50年で六千万文字。とは言ってもそれは発表した分だけで、原稿の書き直し分はかぞえ切れないはず。
ともかく六千万文字、50年なら、1年で120万文字、1日3,287文字。400字詰め原稿用紙で8.2枚、休まず毎日?ちょっと盛っているような?
どうなんでしょう?しかし、北方謙三の三国志やら水滸伝やら楊令伝やら岳飛伝、相当な長編を書く人もいて、ある得るのか?
手本を写すだけなら1日4,000文字はいけるかも。しかしそれを50年毎日いける?創作ですよ。写本ではなく、自分で創造して文章を書く。

単純に数字として六千万。一億の半分以上。どれだけの紙とペンを使うのか?
小説は1冊10万文字ほどだそうで、すると600冊。50年で600冊なら、年間12冊、ひとつき1冊。そんなに書けるものか?
1文字100円としたら60億円。稼いだのかな?(1文字100円というのは子どもの頃父から聞いた話、売れっ子作家は当時(昭和30-40年頃?)それくらいだったとか?これはちょっと確認できませんが。)

自己完結性2024年06月21日 08:27

3/24/11
当時勤務していた会社には造水機という製品がありました。海水、川や湖の水を飲料水に浄化する装置です。
東日本大震災により飲料水が入手出来ない地域に造水機を持って行けないか、という社長の思い付き。
造水機担当セールスのY氏から相談がありました。
造水機を動かすには電力が必要で、発電機も持っていくのか、現地での食料調達や宿泊はどうするのか、食料もテントも燃料もトイレも全て持っていくのか、現地は困難の極みにあるはずで、道路もどこが通行可能なのか分からない、海水を使用するとして出来た飲料水を必要なひとに海岸まで取りに来て貰うのか、こちらで配布するのか、容器も用意していくのか、などを質問したら諦めたようです。
自衛隊なら自己完結する装備も訓練もノウハウもあるあるでしょうが、現地がボランティアを受け入れられる状態になる前は民間企業のサラリーマンは足手まといになるだけ。

民間でも船はある程度の自己完結性が求められます。火事になっても病気をしても犯罪が起こっても、消防車も救急車もパトカーも来てくれません。火事は自分達で消すしかありません。ひとりしか居ない通信士が倒れたらモールスによる医療電報の送受信が出来ません。例え外国船でも無線電話の到達距離にいれば、電話で病状を伝えてモールスで陸上との遠距離通信を依頼することは出来ますが。

細かいことを言えばキャプテンも自分で洗濯します。シャツのボタンが取れたら自分で付けます。これが自己完結性。

3.11東日本大震災2024年06月09日 15:53

3/11/11
14時45分地震、オフィスは2階建ての2階、揺れは大したことはないが、揺れている時間が長かった。

東京本社の社長から被害状況を連絡せよという指示あり。その後本社人事から今後の指示を連絡すると言うことだったが、どうなったのか?
横浜・戸塚オフィスの責任者は辞めたばかりで、週の半分東京本社から来ているNo2は今日は来ない日。
関連会社のW氏が『俺が責任を取るから帰って良いよ』と。たいした判断力と責任力、感銘を受けた。

私も残っていても時間の無駄、暗くなり、寒くなり、帰宅が困難になるだけは明白。それに停電、電車は止まっただろうと思われた。歩いて帰れるなら、帰る必要があるなら早い方が良い。
自己判断で、部下のSにも帰れるなら帰れと言って、私が最初に帰った

幸運にも戸塚駅から保土ヶ谷駅行きのバスが運行されており乗車。保土ヶ谷駅の手前で渋滞、運転手の勧めでバスを下りて歩いた。
スマホのナビを頼りに歩いて、保土ヶ谷駅にたどり着き、以前通勤していた天王町駅にたどり着き、横浜駅にたどり着き、東神奈川駅近くで妻をピックアップ、一緒に歩いて2030時帰宅。

途中踏切があり、数分待っても空かない。電車は来ない。地震により締め切りの動作をしていると考えて、横断した。

長女次女も義母も無事。

船なら本船を放棄してライフボートに乗るかどうかはキャプテンの命令による。一蓮托生。個人の判断で勝手に避難は出来ない。機関士や通信士はライフボートを降ろせない、航海士や機関士は遭難通信を行えない。
消防も救急も警察もない船では自分達だけで全てに対応しなければならない。
陸上の場合は、小さい子どもや老親のために遠距離でも歩いてでも帰宅せざるを得ないひともいるだろうし、自己判断は可能であるし、指示待ちは危険な事もある。