カリブ海 ― 2023年12月31日 13:30
バンクーバーとプリンスルパートで積んだペレットは、釧路と苫小牧で揚げました。
次航は中南米、カリブ海航路です。めったに行けません。期待大!
横浜、名古屋、神戸で中古車を650台ほど積みました。自動車専用船の積み残しで、本船のような兼用船(材木船から自動車も積めるように改造)で、650台程度積めるもので充分だったとか。
1979年11月3日神戸出港。
11月18日Los Angeles入港、バンカー、同日出港。
11月28日Christobal, PANAMA入港、中古車揚げ。
11月29日出港。
当時、パナマ共和国(Republic of Panama)とパナマ運河地帯(CANAL Zone)というのがありまして、パナマ運河とその両岸数マイルはアメリカの主権範囲で、入港手続きにはUS Customs, US Immigrationなどが船に来ます。在日アメリカ大使館で発行された乗組員のビザ(Visaed Crew List)も提出します。
その後、アメリカは運河の権益をパナマに返還しました。
ジョージア州でピーナッツ農場をやっていたというジミー・カーター大統領が1999年までに運河をパナマに返還するとして、実行したものです。
一晩停泊したので、多分数人でバール(バー)でセルベッサ(ビール)を飲んだと思います。
ビールは苦手ですが、ウィスキーに氷や水を入れるのはちょっと避けたいので。その場で栓を抜いて貰うビールなら、まぁ、腹を壊すことは無いでしょう。
スペイン語圏です。英語は通じません。(英語のテレビ放送はありました。運河地帯にはアメリカ人もかなり住んでいたのでしょう)米ドルはそのまま通用します。ビールが1ドルだったかと思います。但し1ドルは、当時200円くらいだったかと思います。
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