ガルフ・北米東岸 part-12024年01月11日 08:47

NAME OF VESSEL   M/V DAISHIN-MARU(大進丸)

TYPE                        PURE CAR CARRIER

CALL LETTER        JECJ

FLAG                       JAPANESE

G/T                        15,581.20

D/W                      15,628.00

Engine                      8,495.0KW (11,550HP)

この頃からエンジン出力をKWで表すようになりました。

本船もPCCですが、wood chip運搬船からの改造です。
wood chipというのは材木を砕いたもの、紙の原料になります。
最大で3,800台ほど積んだことがあると聞きましたが、私が乗船した航海では3,500台強だったとおもいます。

あまりギチギチに積むと、降ろすときに現地のステベ(港湾労働者)からクレームがあるそうです。降ろしづらいと。
車同士の隙間が数センチでは、ちょっとハンドル操作をミスると擦ります。貨物の損傷、ステベダメージとなります。

ステベ:Stevedore:人夫とも言っていました。
ワンボックスカーに数人のステベが乗って、これを1ギャング(グループ)と言います。運転手がステベを船に運び、ステベが運転して貨物を船外に運び出し、またワンボックスで船に戻る、の繰り返しです。

自動車はタイヤ付近4カ所から細いワイヤー(クラスパーやシメラーという)でデッキに固定します。船体が揺れた場合、パーキングブレーキだけでは自動車は動いてしまいます。
1台当たり5リットル(?)の燃料が入っているとしても3,500台では17,500リットル、ドラム缶87.5本。バッテリーもありますから、火災、爆発のリスクがある貨物です。
当時の業界誌で、アメリカ沖で日本の自動車船が火災を起こし、消火に当たったUSコーストガード隊員が殉職した記事がありました。

火災に備えて、区画に対して炭酸ガスで消火する設備がありますが、船体全体を充たすほどのガスは現実的に積載できません。人がいれば、窒息します。

ガルフ・北米東岸 part-22024年01月11日 19:23

1983年12月21日、横浜で大進丸乗船
車は日産で積地は横浜と福岡の苅田。
1984年8月28日、追浜で下船。

揚げ地は;

Houston, TX            1415 30/ 1/84  1300 31/ 1/84

Baltimore, MD          0100  6/ 2/84  1610  6/ 2/84 

New Ark, N.J.           1600  7/ 2/84  1610  8/ 2/84


Houston, TX            1040 18/ 4/84  1300 19/ 4/84

Jacksonville, FL.      1030 23/ 4/84  2020 23/ 4/84 

Baltimore, MD           0140 26/ 4/84  1600 26/ 4/84

Providence, R.I.         2015 27/ 4/84  1100 30/ 4/84


広島でドック(船舶検査)


San Juan         PUERTORICO    0000 18/ 7/84  1310 18/ 7/84

JacksonvilleFL.                  0540 22/ 7/84  1800 22/ 7/84

New Ark, N.J.                      0600 25/ 7/84  1530 25/ 7/84 

Providence, R.I.                   0730 26/ 7/84  1500 26/ 7/84


3航海しました。往航、復航ともLAでバンカー、パナマ運河通狭です。

New Arkへ行ったときは、New Yorkの日本人経営シップチャンドラーにNYまで便乗させて貰いました。

確か、サードオッサー、サードエンジャー、サロン、私の4人だった?

夜だったので、男4人でも充分注意するように言われました。

2月、寒かった。マンホールから上がってくる蒸気がNYっぽかった。騎馬警官も。

多分ブロードウェイ辺りを歩いて、バーに入って、通じない英語でハムステーキを頼んで焼いて貰い、黒ビールを飲みました。

帰りはタクシーを拾って、料金を確認したところ、メーターではなく長距離の表を見せられて、ニューアーク空港までの料金100ドルと約束。

さて、無事に帰れるのか、人気のないところに連れて行かれてHold Upとなるのか?

無事帰船しました。途中数回、運転手が車を止めて道路を訊いてくれて、親切な人でした。チップを20ドルあげました。

ニューアークへ航行中、ニューヨーク沖で遠くにかすかに水色の自由の女神が見えました。


プエルトリコはアメリカの主権地域です。

どんなとこだったかな?


プロビデンスだったか、パイロットがブリッジで、ケネディ家の別荘があれだと教えてくれたと、あとでサードオッサーから聞きました。その時は通り過ぎていましたが。

ググったら、ありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89


あの辺、海岸沿いの家から海に浮かべたボートやヨットに行けるような、そんな景色でした。(きっとみんな金持ち?)


東海岸の人は当時のレーガン大統領を田舎者みたいに言って、あんまり支持がなかった印象があります。



ガルフ・北米東岸 part-32024年01月11日 19:50

ガルフというのはMexican Gulf、メキシコ湾のことです。
西はテキサス、東はフロリダ半島に挟まれます。

ヒューストンでは飲み屋で随分とぼられたことがあります。
日本人(日系人?)経営のシップチャンドラーに連れて行ってもらった店でしたが、グルだったようです。
その夜は金が足りず、翌朝船に取りに来て、米ドルは使い切っていたので、日本円で払いましたが、相手が一桁間違えた金額を言ったので、これ幸いとそれを渡しました。
でも暫くしたら、桁を間違えていたと再度取りに来て、仕方なく払いました。
もう少し早く出港していれば、、、残念(^_^)
払ってくれたサードエンジャーに感謝です。

どこの港だったか、小学校の先生が生徒を連れて船の見学に来ましたが、何故かキャプテンが断りました。
そういえば洋光丸では、国際障害者年(1981年)ということで八戸で施設の生徒を船に招いたこともありましたが。