縄文杉2024年03月05日 07:15

2019年7月6日、縄文杉に連れて行かれました。


0330起床
0420ガイドがホテルでピックアップ、あと2人のメンバーも偶然同じホテル
0450屋久杉自然館(登山バス乗り場)
0500雨のため中止していた登山バス、一週間ぶりに運行が決定(あーぁ)
0520バス乗車
0600荒川登山口で下車、朝食
0630登山開始

1000妻がウィルソン株を見事にハート型に撮影しました。
この時点で妻は、これ以上歩くのは無理、ここで帰りを待とうか、とかなり迷ったそうです。
1120昼食
1235縄文杉
1300下山開始
1803荒川登山口
歩行距離23km
高低差690m

初めての山歩き、いや、私にとっては完全なる登山。
途中弱い雨、合羽を着ると蒸れて暑い。
なんとか霧に霞む縄文杉に到着。





さぁ、下りましょう、帰りの時間はたっぷり、たっぷりは無いけど充分、と言い直すガイド。
途中、別のグループで転んで腕を脱臼した人がいて、1人でも大変なところ、もう1人誰かが怪我をしたらとんでもないことになる、とのこと。負傷者は救助のトロッコで回収。
このツアーを企画した張本人は疲労でヘロヘロ、危うく右側の崖に落ちかけ、とっさに左腕を掴むも、ドキッとしました。
ガイドが張本人の膝にサポーターを巻いてくれ、上半身に紐を付けて、背後からから落ちたり転ばないようにサポート、まるで猿回しの猿(😊)


私は彼女のリュックまで背負う羽目に、肩が痛い(;.😉
トロッコ道まで降りて猿を返上、しかしペースが上がらない、このままでバスに間に合わないかもと、ガイド。
途中、1分貯金が出来た、3分貯金が出来た、とは言いますが、休憩無しに1.5時間歩きっぱなし。
またペースが落ちて、無線でバスに待ってもらうが、3分は待ってくれるが5分は待ってくれない、と。
ギリギリの3分遅れでバスに乗車、やれやれ。
しかし、GPSで11時間30分、23km歩いて690mを上り下り、やれば出来るもの。ちょっと体力に自信を得ました。
張本人は最後まで、自分のせいでバスに乗り遅れたらあと2人のメンバーにも迷惑をかけることになるから、と必死に歩いて、ちょっと見直しました。

トビウオの刺身と鹿の味噌煮がハイボールの次に美味かった。
枝豆のから入れが素朴でした。


ガイドより、杉は1種類しか無いとのこと。秋田杉も屋久杉も同じ杉。
屋久島は岩で砂や土が無いため、杉は岩から養分を吸収するので成長が遅く、緻密な木目で、樹脂成分が多く腐りにくいとのこと。

今回のツアーを企画し、エアチケット、ホテル、ガイド、登山具レンタル、全ての準備をしてくれたのは妻。素晴らしい経験をさせてくれた妻に感謝です。

戦争2024年03月06日 08:18

2019年4月
2018年に亡くなった母の妹二人が、父の見舞いに来てくれたついでに実家を片付けてくれて、私の母子手帳や父の兄の戦友会名簿などが出てきました。


子供の頃、父から聞いた話:
『兄貴(私の伯父)は零戦に護衛させる急降下爆撃機に乗っていた』
『フィリピンで飛行機が無くなって、戦争が終わる少し前に内地に飛行機を取りに戻ったが、内地にも無くて終戦になった。もし飛行機があれば特攻にやらされていただろうから、恐かった、と言っていた』
『飛行機の翼は電柱をへし折るほど強い』
『ジャワ島はどこの家にもピアノがあるほど裕福だった』(当然ながら、植民したオランダ系白人の家でしょう)
『いつまでも、戦友会に行ったり人のことを「貴様」と呼んだり、軍隊から抜け出せないばかな男だった』という辛辣なことも。

名簿から、伯父は陸軍飛行第七五戦隊第三中隊に所属していたことが分かりました。
ググってみると、七五戦隊の飛行機は九九式双発軽爆撃機。
零戦は海軍の戦闘機。陸軍と海軍はあんまり仲が良くなかったようなイメージあります。
しかしネットは便利、を通り越して、驚異、『九九式双軽空戦記』という文庫本の存在を知りました。


75戦隊がオーストラリアの飛行場基地を爆撃するとき、海軍が協力してゼロ戦が護衛したことの記述あり。伯父もその爆撃に参加したのか?
でも、「急降下爆撃機」はググっても出てきません。ところが、丸メカニックという雑誌で1979年5月号に九九式双軽爆撃機の特集があって、これが1,500円でアマゾンで買えました。


水平爆撃より精度の高い急降下爆撃が必要となり、60度ダイブが出来るようにダイブブレーキを装備した『日本陸軍唯一の急降下爆撃機』との記事。
父の言っていたことは、まぁ、合っていたようです。


空戦記によれば、七五戦隊からも戦隊長が選んで特攻を出していました。
陸軍の人事として、飛行戦隊の戦隊長は必ずしも操縦が出来る必要が無くて、だから操縦できない戦隊長は絶対に特攻をやることは無いのです。泣ける話です。
設計上、標準で300キロ、特別で400キロしか爆弾を積めない九九式双軽に、800キロ爆弾を積んで特攻をやったそうです。
機体を軽くする為、3丁の旋回機銃を全部取り外して武装無し。しかも戦闘機の護衛無し。サファリパークを車に乗らずに歩くようなもの?
九九双軽は1機あたり4人の空中勤務者(陸軍の呼び方)がいますが、機銃を撃つ2人と無線担当を合わせて3人省いて更に軽くなります。操縦手1人で特攻。
(通常爆撃では、無線は離陸したら封止らしく、無線手も3丁目の機銃を撃つのでしょう)
1機15万円の飛行機で1艦2,000万円の敵戦艦をやれば、充分お釣りが来るという計算があったと。人の命は無料、泣ける話です。

2019年5月
父が亡くなり、四十九日に来てくれた、満州に住んでいた叔母から聞いたのは、戦争が終わって内地に帰るとき、満人からもソ連兵からもひどいことをされたことは無かったが、汽車で移動する途中野宿したことがあり、一緒に帰国する体を売っていた女達が『私たちが念のために外側に寝るから、あなたがたは内側に寝なさい、何かあれば私たちがあなた方を守るから、ともかく協力して一緒に内地に帰りましょう』と言ったと。泣ける話です。

深大寺2024年03月07日 08:31

2019年11月9日
妻と深大寺、大吉、深大寺ビール、蕎麦、秋田の海底から引き上げられた観音。









丸山健二トークショー2024年03月08日 07:40

2019年11月14日
丸山健二トークショーに行ってきました。
文章は正確で短く、通信の文章、それがハードボイルド、ほとんどの作家は文章が稚拙だ、と。
彼は仙台電波高専で無線通信士を目指すも挫折、商社のテレックスオペレータをさぼりながら『夏の流れ』を書いて芥川賞受賞。

この人の文章は何を書いているか良く分からないけど、つい買って読んでしまう。
この人の本以外は文庫本になるまで買わないけど、この人の本は文庫本にならないから仕方がない。

ちなみに私は、徳島総合高等職業訓練校で第2級無線通信士免許を取得し、貨物船の通信士を7年やりました。
氏はハンググライダーを愉しんだそうですが、私はハングライダーより飛行性能が劣る、ために操縦が易しいパラグライダーを楽しみました。

大橋純子コンサート2024年03月09日 08:33

2019年12月17日
妻と大橋純子コンサート、中野サンプラザ。
声は出ていましたが、低音になっていたかな。
そろそろ古稀とのこと。
シルエット・ロマンス、地上の星のカバー、生は迫力があります。楽しみました。
演歌は嫌いとのことでしたが、同郷の北島三郎から花が届いていました。
惜しくも2023年11月9日亡くなりました。合掌。