思い出2024年03月24日 08:06

2021年8月15日
終戦記念日にちなんで。
フィリピン・パラワン島・リオツバ(Rio Tuba、ツバ川という意味らしく)にニッケル鉱石を積み取りに行っていたのは40年ほど前です。
入港の数日前に必ず在マニラ日本大使館に、本船入港中のガードを依頼する電報を送信していました。
フィリピンコーストガードが一人か二人、M16アサルトライフルで武装して本船に泊まるのですが、実は当地は一人で上陸することも可能で、もはやモロ民族解放戦線という反政府ゲリラの出没は無くなっていて、ガードの依頼はなにか大人の事情だったのかも? 
聞くところによれば、コーストガードは飲み屋でサンミゲル(ビール)の飲み代を踏み倒したり酔って暴れたりして、住民はゲリラより政府軍の横暴に手を焼いていたと。悲しいですね。
まぁ、それくらいなら、とは言えませんが、赤ん坊が泣いたらアメリカ軍に見つかるからと母親に自分の赤ん坊を何とかしろと、そんな軍隊も存在したようです。悲しいですね。

あ、それから、ニッケル鉱山は社員のために病院を持っていましたが、診て貰うために、山というかジャングルを2日も3日も歩いて来る社員ではない病人もいたそうです。
道路が無くて周辺の町との交通は、翼からガソリンが漏れる(鉱山を技術指導する日本人駐在員の言)小型飛行機か船だけでした。
当時から我が国には救急車がありましたが、40年後の今日、とうとう死病に罹患しても政府の方針で入院できない事(2021年8月、コロナは原則自宅療養となった)になりました。悲しいですね。


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