コロナの頃-62024年03月25日 08:34

2021年9月7日
アナフィラキシーショックよりも強大な精神的打撃。
横浜・桜木町、ようやく予約が取れて1回目のワクチン接種、この頃ホットなモデルナ、目で見えるゴミが混入しているならそれより小さいゴミは数倍、数十倍入っているはず、注射液に金属片ならラーメンにゴキブリが入っているレベル、ところがこの国の健康保険制度では死ぬかもしれない病気でも自宅療養が原則、自宅静養じゃないぞ、そうした中で、気休めでもリスクを減じるべく命懸けの注射、もう意味不明でございます。
注射の後は副作用、この頃は副反応というのか、何かのごまかしのために言葉を変えたか知らねども、そんな必要は無いとは思いつつ(なにせ子供の頃あんな田舎であんな環境で生育した私、花粉をふりかけにして食っても花粉症にならない確信がある私)、そうした中で、15分の観察時間を終えて帰路のシャトルバスに乗りこんだところほぼ満席、二人掛けの席に空きは散見されるも乗車時間は僅か7分、立ったままポケットから文庫本を取り出したその時、そばの席に座っていた女性が『どうぞ』と立ち上がりました。
余りのショック(えっー!もしや席をゆずられた?おいらはそんなに爺?老けてる?老人?高齢者?死に損ない?)に反射的に『大丈夫です』、しかし一度立ったからには二度と座れないのが女の挟持?
そうした中で、二人して立ったまま数分経過してショックがいくらか和らいでから気づきましたが、座ればめでたし、めでたしだった。
今日たった今から、自分は席を譲られるほど老いぼれたことを認識・自覚して、明日からは年寄りに席を譲ろうなどと途方もない思い違い・勘違いは廃棄・焼却して、爺として世間の片隅で邪魔にならないようにそっと生きていこう。
そうすれば、きれいな女性のけつを触って追究されたときに『俺は呆け爺だから正常な判断力が無かった』と抗弁すればきっと無罪になるはず。