骨折2024年03月28日 08:12

2022年3月19日
シャバの空気はうまい。
明日は散髪に行って、傘張り浪人の様なむさ苦しい風体を何とかするか。

伊勢原市の山林でエアライフルで鳥撃ちを楽しんでいた1月9日、下り斜面で滑って転んで右足を骨折、救急搬送、入院する羽目になった。
元日に引いた神籤は大吉だったが、その8日後にこのざまだ。
神は信頼に値せず、あるいは人生は皮肉に満ちているととうに知っていたはずだが、いくらかの落胆は免れない。

エアギターというものがあるが音は出ない。あれとは違ってエアライフルは弾が出る。
だがあの日は1羽も捕獲できず、骨折り損のくたびれもうけってやつを地で行ったわけだ。
滑って転んで骨折とは、単にドジを踏んだだけなのか、それとも老いぼれてヤキが回ったのか、いずれにしても絵に描いたような間抜けも良いところだ。

入院が日曜、月曜が祭日、火曜に手術予定を決めるとのこと。
手術まで踵付近にドリルで穿孔、外径2mmの金属棒を貫通させ、棒におもりを吊り下げておくと言う。筋肉を収縮させないためとか。
ドリルビットには木工用、鉄鋼用、コンクリート用などの種類があるが、生体用もあるのかドクターに聞き漏らした。
穴を開ける前に麻酔をするから大丈夫だと聞いたが、その麻酔注射が痛かった。穴開け加工は痛くなかったが、あんなもので踵に貫通穴を開けるということにぞっとした。

手術は木曜に決定。それまでは踵のおもりのためベッドに貼り付け状態だが、手術後はリハビリが始まる、つまりベッドから抜け出せると言うことで、むしろ手術が待ち遠しかった。
『私に切らせて』と志願した女医がいたが、切ると言うより折れた骨を接続して欲しいので断った。
『私、失敗しないので』と食い下がられたが、手術同意書へのサインは『致しません』と拒否。

手術当日、ここにもあの忌々しいオミクロン感染症の弊害たる種々の原材料の不足、価格の高騰、生産の遅延、ロジスティックスの停滞があり、踵に穴を開ける程度の麻酔はあったが、右脛骨骨幹部骨折・右腓骨近位端骨折に対する観血的整復固定術に必要な全身麻酔が充分に入手出来ないという。
そこでやむなく、麻酔の不足分の穴埋めに手術室でラム酒を半瓶飲まされ、さらにこれを噛んでいろと割り箸を渡されて執刀開始。
麻酔同意書にサインしてしまったから仕方ないが、脂汗が2リットルは出た。

手術から数日して入院後初めてのシャワーを浴びたときは、気持ちよかった。
これでバーボン・オンザロックの2杯も飲ませてくれたら、危うく、入院して良かった、という気分になったかも知れない。

リハビリテーション;
あしたのために・その1、車椅子の使い方:チョロいもんだぜ。
あしたのために・その2、折れた足を浮かせて松葉杖2本で歩く:ちぃっとばかりきついが、けものの血が騒ぐ。
あしたのために・その3、折れた足に体重の3/1を荷重しながら松葉杖2本:これなら軽いスパーリングだな。
あしたのために・その4、体重の2/3を荷重して松葉杖1本:おっつぁんヨォ、病院との決着は近いぜ。
あしたのために・その5、3/3を荷重して松葉杖なし:あしたはどっちだ?

今日、ようやく病棟のベッドと美しき看護師たちから解放され、ほっとした。
入院はもう一生分したし、家には看護師が束になっても敵わない美しすぎる妻がいる。

ところで、医療従事者のどこまでも崇高な職業意識、どこまでも純粋な使命感、想像を超越する患者への献身と優しさに、感謝よりも感動を覚えた。
オムツを交換してやって、『はい、終わりました、ありがとう』と、逆に患者に礼の言葉をかけるのを聞いて心が震えた。

しかしながら、わずかに心残りだったことも。
看護師が俺と同室の患者に、『○○さん、夜ご飯食べに行こう』
なに?
ここは△△病院5西病棟ではないのか!
逆ナン?
しかも祖父と孫の年齢差!
あるのか、こんなことが?
そして、明日は俺の番か?
燃えるような期待は無惨に粉砕された。つまり、病室のベッドを出て車椅子に座ってスタッフステーション付近で食事を摂ることは、必要不可欠な彼のリハビリテーション、さもないと寝たきりになるから、と知った。
誘われなくて良かったような、それでも誘われたかったような、かなり複雑な心境を持て余した。

また、彼のナースコールはとても個性的で、手をパンパン叩きながら『オーイ、オーイ』ここは料亭じゃない。
整形外科の適用症状に加えて、認知症にまで対応が要求される医療従事者たち。

さて、写真の通り改造人間になった俺には、世界征服を企む悪の秘密組織・ショッカーとの戦いが待っている。死神博士との対決が楽しみだが、その前に変身の練習をしなければ!
ライダーキックは当分使えないか?

今回のことで、ぼちぼち鳥撃ちやパラグライダーから足を洗う潮時なのかと思う。
それじゃ老け込んじまうというヤツもいて、単なる人生の通過点と捉えようかとも思う。
ここで大切なのは、なにごとも考えるのは俺で、決めるのは妻だという我が家の大原則だ。