転職2024年01月16日 14:23

ネルソン丸乗船中から、本船を最後に陸に上がろうと決めていました。
就きたくて就いた職業でしたが、少し前から一生やる仕事ではないと思い始め、でも30歳まではやろうとも考えていました。
いずれFGMDSSが実現したら無くなる職種でもありましたが、一番の動機は結婚でした。

ちょっとキザかも知れませんが、船は私にとって単なる職業に留まらず、青春であり、人生そのものであり、男の生き方でさえありました。
何故船に乗った?
大工でも良かったし、消防士でも良かった。なにか男の仕事がしたかった。
船で何をしていた?
ケチな二等通信士。
どうだった?
しけたサラリーマンよりまし。

最後の航海、内地出港後に無線室にシップチャンドラーが置いていった新聞がありました。
求人欄に半導体製造装置のフィールドエンジニアという職種があり、その職種の意味も知らず、今すぐに応募できない人には『人材登録』制度があるとのことで、ネルソンから登録したい旨のエログラムを出しました。

船会社を退職後、地元第9管区海上保安本部に応募書類を貰いに行ったり、民間企業にいくつか応募しましたが採用されませんでした。そこで、求職先を東京に求めることにしました。
半導体製造装置の求人担当者とも連絡を取り、数社に面接に行き、1985年11月東京都狛江市のA社に採用されることとなりました。

本社はアメリカミネソタ州にある、半導体洗浄装置メーカーです。
日本に販売代理店はありましたが、子会社を作ってビジネスを強化しようとしていました。それほど日本の半導体ビジネスに将来性があった時代です。

工業高校電気科及び職業訓練校無線通信科で習得した電気・電子の知識をメインに、なんとか転職を成功させようとネルソン丸下船後から昔の教科書を出して勉強していました。
しかし、学校の勉強と実際の仕事は全く違います。
出社初日にマイコンを使用した洗浄装置のコントローラの説明をされて、さぁ修理してみろと。
ひぇー。Z80マイコンなんて知りません。船の送信機の缶タイプのオペアンプを見て、トランジスタが複数入っているものと想像していたくらいです。(通信士国家試験には真空管回路が半分くらいあった時代)
論理回路は教科書にありましたが、実際のICを知らなかったのです。